http://www.hatena.ne.jp/yamaz/: 2008年4月アーカイブ

ここまで紹介してきたARGは、ひとつのジャンルとして近年確立してきたものではあるが、もちろんこれまで全く存在しなかった手法というわけではない。似たような事例は規模こそ違えどさまざまなレベルで実施されてきたともいえる。そしておそらく今後もARGあるいはそれと類似した手法は増えていくと思われる。

わたしたちは広告人として、この現象をどう見たらいいのだろう。
わたしは同様の背景を、テレビにおけるリアリティショーの台頭、あるいは「24」「LOST」などの高視聴率連続ドラマに見ている。そこには巧妙に「現実感」が取り込まれている。そこにはこれまで「作り手」がこれだけやれば観客は喜ぶだろうと簡略化して表現してきたレベルや、「表現者」がこれを言いたかったというような目線でつくったストーリーを超える、さまざまな情報のレイヤーが仕込まれている。あるレイヤーで予定調和に見えたことが、別のレイヤーの介入でまったく違う状況に置かれてしまうというスリル。案外、現実のなかでは起こっていることなのだが、これまで番組やドラマはそういうことを嫌ってきた。しかし、今の大衆は、まさに情報を複合的なレイヤーで捉えることを日常としている。きれいに整えられたパッケージよりは、複雑なレイヤーを駆使し視点そのものをダイナミックに移動させるような体験こそ求めている。

情報という価値は、かつてメディアや国家といった一部の機関が扱うものだったが、いまやネットにつながる人すべてが同様の立場に立つことができる。ひとつの正論をありがたく享受するというかたちが通じなくなったといってもいい。情報の取捨選択と評価は、生活者の手に移った。主権が権威から生活者に移行したわけだ。
つまり、企業はメディアの側から情報を流し、生活者が集まってくるのを待てばいい、ということではすまなくなってきた。むしろ企業は積極的に生活者の情報収集フィールドに下りていき、ともにエキサイティングな体験を共有しながらある方向へ能動的に向かっていくことを考えていかなければならない。マーケティングのベクトルが変わったのだ。
そのときに示唆を与えてくれるのが、今回紹介したARGなのではないだろうか。

あるブランドを所有することが、そのブランドの形成するコミュニティに加わることだと定義するなら、そのコミュニティに参加する通過儀礼としてひとつの広告やキャンペーンが機能するということもできる。
今日的な情報環境の中で、コミュニティへの通過儀礼としてキャンペーンを機能させるためには、ここで紹介したARGの深い関与と体験は重要な鍵を握る。

ARGなどの手法を取り入れた、没入型(Immersive)マーケティングは、まさに参加者の人格をある世界観にどっぷりと浸し、中毒症状にもにたある種の依存状態を引き起こし、切っても切れない関係を構築するのだ。

ARGという新ジャンルについての紹介を続けよう。
ある体験を共有するコミュニティには独特のワード使いが見られるが、このARGにもいくつかそうしたワードがある。

This is not a game.
通常のゲームデザインは、分岐によるパターンの組み合わせで一定のインタラクションを用意したもので、リセットしたり繰り返したりできるが、現実(リアル)の時間の流れは、常に次に何が起こるかは不確定であるし、時間である以上、当然巻き戻しやリセットはできない。不可逆性が付きまとう。やり直しの効かない瞬間の連続がスリリングであるという当然の事実を、このARGは見事に取り込んでいる、といえる。基本的な設定とゴールまでの大筋はARGのリードライターによって創作されるが、実際の展開は誰も決めていない。それは、参加者とパペットマスターのある種の駆け引きで進行されるのだ。

Puppet Master
ゲームの参加者に対して、パペットマスターと呼ばれるARGの進行管理役は、カーテンと称される敷居によって隔たれ、決して参加者が触れられる存在ではない。パペットマスターは、参加者に対してゲームの進行に必要なさまざまな情報を謎めいた演出でリリースし、時に参加者同士が協力しながらその謎の断片をつなぎ合わせたり解読したりしてゲームを進めて行く。ある事例では、あまりに謎を仕掛けすぎたパペットマスター側が自ら袋小路にはまり、ゲームの進行が危ぶまれたときに、ある参加者が提供したプログラムによってその解法が見つかり、無事ゲームは終了できたという話しもあったほどだ。

Rabbit Hole
うさぎの穴、パペットマスターが仕掛けるゲームへの入り口をこう呼んでいる。もちろんそれは不思議の国のアリスがファンタジー世界/異空間に入る穴から来ているものだが、ARGにおいて、それは例えば映画の予告テロップに実在しない人物の名前として隠されていたり、文字のひっかき傷が電話番号になっていたり、ある公衆電話から届けられたり、置き去りのUSBメモリや、謎めいたデザインのTシャツだったりと、それは決まった形を持つものではない。

これまで、映画の事前プロモーションとして、あるいはゲームの世界観を拡張したものが多かったが、新車が盗まれたというプロットで自動車ブランドが取り入れたり、石油がなくなった世界をシミュレーションするというような、集合知による社会貢献という視点のARGも数多く現れてきている。
★ARG情報:http://www.argn.com/
さて、次回はこのARGを歓迎する現在の生活者というものをあらためて眺めてみたい。

ARG(Alternate Reality Game)= 代替現実ゲームというキーワードは、まだこの日本では知る人ぞ知るレベル。日本語版のウィキペディアにも今日現在ワードは立っていない。
★英語版Wiki:http://en.wikipedia.org/wiki/Alternate_reality_game
しかし、その波がこの1年でいよいよ日本にも押し寄せてきそうだ。
リアル世界とネット世界を、ARGは一続きのプラットフォームとして扱う。そこに参加したとき得られるある種のドキュメント体験は、喩えは悪いが、臨時ニュース特番に釘付けになっている状況に近いとも言える。

ARGのスタイルが確立されたといわれているのは、2001年のスティーブン・スピルバーグ監督作品『A.I.』の公開前のプロモーションだ。当時マイクロソフトに所属していたメンバーが、映画の登場人物を使った別のプロット(ある殺人事件)を用意し、その謎解きを参加者とともに進行させていくというものだった。
そのあたらしいスタイルの体験はひとつの現象を引き起こし、ARGを専門とするプロダクションも、そのメンバーや熱狂したファンを中心にその後次々に設立されたほどだ。
★ARG先駆者:42Entertainment http://www.42entertainment.com/
従来のゲーム性や参加性の高いイベントと違い、その手法はネットワーク上の“オープンソース”手法にも似て、そのゴールへ向かう推進力の多くを参加者の自主的で能動的な関与に頼っていることが特徴といえる。そして、オルタナティブという言葉どおりそれは現実と仮想の隔たりを消し去るように、私たちを取り巻くあらゆる新旧のメディア、チャンスに忍び込みメッセージを送ってくる。
その手法の革新性は、いくつかのARGターム(専門用語)に現れている。
次回、その代表的なものをいくつか紹介しよう。