ベムのコラム: 2015年4月アーカイブ

ご逝去された旭通信社創業者稲垣正夫氏のグローバル戦略について、デジタルインテリジェンスNY榮枝からの特別寄稿です。

4月17日に旭通信社(現アサツーディケイ、ADK)の創業者、稲垣正夫氏の訃報がニューヨークにも届いた。この場を借りて、MAD MANでしか披露できない稲垣氏のグローバル化への志を米国から届けてみたい。

56年 稲垣正夫現会長らが旭通信社を設立
73年 業界ベストテン入り
84年 旭通信社が米BBDOインターナショナル社と資本・業務提携
87年 旭通信社が東証二部に上場
90年 旭通信社が東証一部に上場
91年 旭通信社が中国の新華通信社と提携
96年 博報堂らとデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム(DAC)設立
97年 業界第3位に
98年 旭通信社が英WPPグループと資本・業務提携
99年 旭通信社と第一企画が合併、アサツーディ・ケイに (以降略)

◆「その土地の砂になれ」
これが稲垣氏の海外に派遣する人材に対する言葉であった。地理的営業拠点の拡大=海外戦略だった70年―80年代当時、「その土地の風習システムに馴染まずして、文化である広告の営業はできない」という理由で、法人設立を任された人材は「長期コミット」が抜擢条件であった。

中国語の堪能であった稲垣氏は中国にロマンをいだき、その土地、文化を尊重する事を重んじていた。だからこそ達成できた政府お膝元である北京の新華社通信との提携が91年。単独出資が難しかった当時の中国において、合弁法人拠点数を急拡大させた。そして地元ローカルのリーダーを尊重し、リーダーとして育てる手腕は「誰も真似できない」個性として着々と拠点を伸ばしていたことは、他社の目からも明らかだろう。

長期ビジョンでの人的配分は「稲垣手法」の一角であり、このMAD MANの筆者である私も95年―2000年まで中国・香港、そして01年から12年まで米国ニューヨークでのADK経営に関わる事ができた。しかし稲垣氏のグローバル施策を振り返ると、特筆される(凄かった)キードライバーは、中国への思いよりも84年のBBDOとの「株式持ち合い」を決めたビジョンであった。この時62歳。

◆外資に企業価値を売る、資本を受け入れる
84年当時、既に電通がヤング・アンド・ルビカム、博報堂がマッキャン・エリクソンという「王者同士」の合弁は誕生していたが、日本で10位そこそこの代理店の代表としてマンハッタンに乗り込み、ペプシやアップルを担当していたBBDOとの「提携」ではなく「資本の出し入れ」を決めたのだ。若気の至りではない、62歳にしてのグローバル市場での「自社(株)売り」の術だ。ちなみにこの84年は、現WPPのCEOマーチン・ソレル氏がWPPを立ち上げる(買収する)1年前で、サーチ&サーチ社のファイナンシャル・ディレクターを務めていた時だ。何と稲垣氏はBBDOとのディールが完了するまでマーチン・ソレル氏とも資本提携の話をしていた、とインタビュー記事が残っている(当時稲垣氏62歳対ソレル氏39歳!)。旭通信社がBBDOとの提携継続から解消までの14年間に、稲垣氏はWPPマーチン・ソレル氏と継続的なコンタクトを持っていた上で、満を持して98年のWPPとの資本提携へのスイッチだったのだ。振り返ってみると、

84年 BBDOへの出資、持ち合い
90年 広告会社としての初の一部上場
96年 国内同業とのDAC上場
98年 WPPとの資本提携

これら全て「(大)資本」に関わる投資決断であり、今で言うアントレプレナーシップである「全員経営」を掲げる稲垣氏らしい経営奇跡だったと思える。現にADKは日本発の広告会社、マーケティング会社において、海外で利益を出している数少ない1社となっている。

◆単なる投資ビジネス理論ではない、その上位の考え
強調したいのは、資本政策の先人である稲垣氏だが西洋的な営利を求める資本政策ではない、東洋思想に基づく「和」をもたらす関係づくりを唱えていた事だ。利潤を追い求める西洋的マーチンソレル卿に対抗できるのは稲垣氏(1990年に藍綬褒章、1997年に勲三等瑞宝章を受章)だけだと思ったが、今やグーグルを筆頭としたグローバルでマーケティング世界において、思想的なビジネスの和を世界に唱えるアドマン・マーケターは知る限り居ない。

故・稲垣氏が著者に常々言っていた言葉は「植福」(人の中に福を木のように植えて育てる)だった。MAD MAN筆者もグローバルビジネス実現を望む次の日本生まれの広告・マーケティング、アドテク企業を、支援したいと思う。

 WPPのマーティン・ソレル氏が昨年放った言葉で「データ・ホリゾンタリティ」というのがある。拝借して新語として流行らすつもりは全くないが、意味するところをしっかり理解しておかないといけない。やはり世界最大の広告グループのトップが言っていることなので、今後のビジネスの方向性を決めるかもしれない。

 マーティン・ソレルの放つキーワードは常にその時々のマーケット状況のツボをついた分かりやすいものだ。過去にはGoogleに対して使った「フレネミー」(フレンドとエネミーを合わせた造語)や、最近では「Mad Men(マジソン街の人(広告人))はMath Men(データに基づいた新広告人像)を目指すべき」とか「CIOとCMOの垣根ととっぱらう。」とか・・・。

 そこでこの「ホリゾンタリティ」だが、「データ・ホリゾンタリティ」というキーワードが出てくる前に新概念として使い始めている。

 私の記憶する範囲では、WPPがデルのためにWPPグループから人材を出して専用エージェンシーをつくったことがあったが、これがフォードのためのベストインクラスであるチームデトロイトなどの先駆けだったように思う。それまでは単なる持株会社でファイナンスしかしていなかったWPPはバックヤードで大型クライアントのためにグループの企業群を機能編成するとい動きを始めた。

 その流れでこの「ホリゾンタリティ」という概念が出てきた。巨大なエージェンシーグループであるWPPがグループ間を貫く「水平」思考をし始めて、「水平度合い」(ホリゾンタリティ)というキーワードが発信された訳である。

 そしてこの「水平度合い」は、巨大グループ間でデータを共有するという「データ・ホリゾンタリティ」に発展した。

 これを促したのは、やはりオムニコムとピュブリシスの合併構想だ。バーティカル(エージェンシー)を寄せ集めただけの水平合併に意味はないと牽制していたWPPとしては、ここぞとデータとナレッジの横の共有をすべき、水平組み合わせの執行を取りまとめるホールディング会社の価値だと強調する。

 データ・ホリゾンタリティと提唱し始めたのは、WPPグループ間でのデータ共有構築を目指した The Data Alliance(GroupM、Wunderman、Kantar、JWT、Cohn&Wolfe、Xaxis等で編成)の強化がスタートした2014年1月から。The Data Allianceをデータの「スターアライアンス」と例え、「データ・ホリゾンタリティ」を目指す複合ユニットの象徴とした。

 今年になって話題になったフェースブックのトピックデータの活用は、1年以上も前にWPPのこの発表の成果のひとつだろう。

http://www.wpp.com/wpp/press/2014/jan/30/wpp-data-alliance-partners-with-datasift-for-unified-global-social-data-access/

 先日のアドタイに「WPPがフェースブックのトピックデータ活用で提携」という記事が載っている。(おっ荻野くんがコメントしとる。)

http://www.advertimes.com/20150413/article189526/

WPPの4つの戦略的重点事項(2014年決算資料より)は
1)BRICsを始めとした高成長地域での成長
2)デジタル化(New Media)を2020年までに自社内42.5%シェア(現36%)
3)データインベストメント(&マネジメント)部門を自社内50%シェアに
4)ホリゾンタリティー、クロスグループを上位40アカウントで達成
を挙げている。
「データ・ホリゾンタリティー」は3)と4)の分野を合併させて出来た言葉とも言える。


 こうした潮流は、広告会社を含めたマーケティング支援産業全体の大きなうねりと言っていい。流石にマーティン・ソレルだ。70歳を超えてなお先頭を走っている。

旭通信社(現アサツーディケイ)の創業者の稲垣正夫氏がお亡くなりになった。僕のビジネスマン人生に最も影響を与えた方である。本当にひとつの時代が終わったんだなと思う。

 新卒でアサツーに入った僕は稲垣社長の半径7~8mのところに席があって(稲垣さんは社長室があるにも関わらず社員と同じ大部屋に平社員と同じデスクを置いていた。)ふたりでの会話も多かった。
 入社当時のアサツーは隔週で土曜日が出勤日で、ウィークデーは出先に行きっぱなしの僕は土曜日しか伝票を切って受注簿をつける時間がなかったので、土曜日でもよく暗くなるまでデスクワークをしていた。すると稲垣社長がトントンと僕の肩と叩いて「横山さん、そろそろ帰りましょう。」と言われる。(当時、稲垣社長は新卒の平社員も「さん」づけで、社員が7~800人になっても顔と名前を全員記憶していた。)もうオフィスには僕と稲垣さんしかいなかった。そう言われれば、急いで片付けて電灯を消してオフィスに鍵をかけていっしょに社屋を出るのだが、当然稲垣さんには社長車(デボネア)が待っていて、「横山さん乗ってきなさい。」とおっしゃる。一番最初は「断るのももしかしたら失礼かも」と乗ってしまったが、僕の上長たちに関していろいろ取材が入るので困った。それ以降はなんだかんだ言って同乗は丁寧にお断りした覚えがある。w

 その後も平社員でも気軽に声をかけてくださる稲垣さんをみんな敬愛の気持ちを込めて社員の間では「社長」ではなく、「稲垣さん」と呼んでいた。

 僕は稲垣さんに直談判したことが3回ある。1回目は同期のカミさんと結婚する時。当時もうアサツーは上場していたのに、社員同士の結婚では女性は辞めろということになっていて「じゃあ、僕が辞めます」と言ったら怒られるし、「それはおかしくないですか?」と食い下がったことがある。


 2回目はDAC(デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム)を起案した時。デジタルガレージ社には「僕は稲垣会長を説得してくるから、君らは博報堂さんに行って一緒にやってくれるように頼んでくれ」と言って、稲垣さんと2人でお話した。今、朝日広告社さんのオフィスになっているビルの13Fの役員応接室だ。
 「博報堂さんと一緒にインターネット広告の会社をつくりたい」と言うと、稲垣さんは「2週間ほど前に博報堂の近藤会長と会食したんですよ。」と言う。「横山さん、私はその時に近藤さんに『アサツーを一企さんと合併させて、それを博報堂さんと一緒になってもらって電通さんに対抗する勢力をつくりましょう。』とお話したんですよ。」と言う。「げっ、そんな話オレみたいな小僧にしちゃうんだ。」と思って焦った。「まあそう簡単な話でもないんですが、まずは今までのように何でも競合会社ということではなくて、『協業できることが何かあればやっていきましょう。』とお話したんです。」「でも協業の材料がなにもなかったので、このお話はいいお話ですね。」と。まあそういう絶妙なタイミングでお話したことでDACは出来た。
 ちなみにこの時アキアというパソコンにインターネット広告の表示イメージをつくって稲垣さんに見せると「横山さん、これはミニコミですね。」とおっしゃった。この「ミニコミですね。」というフレーズも僕は一生忘れない。w


 3回目の直談判は、「DACを上場させたい」という話をしに行った時だ。
稲垣さんは「面白いじゃないですか。どんどんやりなさい。」と言ってくれた。そこで稲垣さんにお願いしたのが僕のパートナーをその気にさせるということで、1週間後に2人連れ立っていくと、稲垣さんはどうやってアサツーをつくり、どういう気概で仕事と会社経営に臨み、どういう目的と心持ちをもって広告会社で初めての上場を果たすに至るのかという話を1時間半くらい蕩蕩としてくれた。この時のお話は今も僕の財産だ。(日経で稲垣正夫版「私の履歴書」が読みたかった。)

 アサツーもDACもADKインタラクティブも、そして今も、僕のビジネスマンとしてのストーリーに必ず登場する最も影響力のあった「広告業界最後のカリスマ」が亡くなった。
 
 「稲垣さん、起案して持って行ったいろんな話をやらせていただいて、本当にありがとうございました。今の私があるのは稲垣さんのおかげです。」

 合掌。(涙)

 従来、マーケティング活動特に広告キャンペーンの企画実施とその効果検証に関しては下記のようなプロセスが多かったのではないだろうか。

予算化した→予算を通すために使った稟議書に書いた企画概要をベースにオリエンする→予算を最も大きな与件として代理店が企画をもってくる→コンペでいいアイディアを採用する→プランどおりの実行を代理店に求める→キャンペーンが終わってから効果検証のための調査を実施する。

 そもそも予算化するためには、そのキャンペーンの目標が明確にないといけない。この目標だが、従来はかなりアバウトだった。まあアバウトなのも仕方のないところで、目標達成を確認する指標がとれないというのが実態だったからだ。
 しかしながら、今はキャンペーンの目標達成を指標でしっかり捉える時代である。KPIというワードもPDCAというワードもそれを前提としている。
 KPIもPDCAも多くのマーケターが普段から使う言葉になったはずだ。そうであれば、マーケティング施策を行うプロセスは、上記のような従来のままではいけない。

 予算が前提の施策の企画実施で、終わってから効果検証というのでは本末転倒。
それではPDCAのPはプライスなのか、またはバジェットから始まるBDCAだ。

 まず、
・どんなKPIをどの目標値まで上げる(下げる)ためにどんなキャンペーンを行うのか
・それにはいくらかかるのか
・実施中のKPI測定はリアルタイムで出来るか
・実施中にも方向修正(最適化)が効くのか
・目標が達成出来れば予算を使い切らずに済むか
・消費者の反応に対して新たなコミュニケーションを行う呼び予算はあるか
など


プランには具体的な目標があるはず。それを数値で示せというのは経営としては当たり前である。マーケティング施策を企画実施する部署は、数値化できてかつリアルタイムで捕捉できる指標を獲得しなければならない。それがKPIで、なぜリアルタイムかというと、キャンペーンが終わってから調査して把握しても、後の祭りだからだ。
キャンペーンの事前からKPIを測定しつつ、キャンペーン開始時点からリアルタイム測定がされている状況をつくることが大事だ。常に「打ち手」につながるデータ捕捉でなければならない。
KPIとは、KGIに連動する中間指標と定義することができる。売上と相関する指標をどう掴むか。宣伝部が予算を使うコストセンターか、投資対効果を最大化することでPLを改善するプロフィットセンターになるかはこうした意識の差から始まるだろう。
宣伝部とは事業部から資金を預かって、マーケティング施策によって特定のパフォーマンスにまで上げる資金運用者とも言える。ある意味トレーダーなのだ。

  デジタル広告の配信設計や運用、トラッキングなどテックとマーケティングセンスを両方必要なサービス展開をしている業界に、ある業界からの参入組がかなりいるらしい。

 ベムが、DACをつくって黎明期に、ネット広告を扱う業界には当然経験者などいないので、広告業界以外からも様々な業種経験者に来てもらった。その中でネット広告に求められる資質があった2大業種というのがあって、ひとつは印刷会社経験者、もうひとつは旅行代理店経験者だった。
 印刷業界出身者は、とにかく機械どりなどが必要なので進行管理に関してはプロ。また旅行代理店経験者は何が起こるか分からないネット広告のトラブル対応に長けていた。基本個人客を相手にする旅行業界はトラブルとクレームの即時対応力がある。


 さて、冒頭のデジタルマーケティング/アドテク業界への親和性の高い業種経験者だが、「アパレル」らしい。というのも彼らが他の業界より、すでに商品開発から製造・流通・販売までのサイクルが極めて速い業界になっているのだ。売れなければ直ちに新たな商品にすげ替えるし、データもしっかりその「打ち手」に活用している。この高速PDCAサイクルが身についた人財は貴重だ。

 ベムはよく講演で、どうしてデータを活用するマーケティングが必要になったかという話をこう例える。「従来は年1回のマーケティング施策で良かった。その時は経験と勘でもまったく問題がなかった。経験と勘でも全く間違ってしまうということはそうそうない。しかし、微差が生じる。ちょっとだけズレる。これは年1回の時は問題にならないが、マーケティング活動のサイクルが早くなると、この少しづつのヅレが問題になる。よく目を瞑ってその場で小さくジャンプを繰り返すと、何十回も飛んでいると自分では同じ場所でジャンプしているつもりでも、部屋の隅まで行ってしまっていることがあるでしょ?だからデータを捕捉して、常に微差を修正しながらPDCAを回す必要が出てきたのです。」

 事業サイドでこの高速PDCAを廻して来た人は貴重だ。

「アパレル」出身者、うちも採用を考えようかな。

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