ベムのコラム: 2011年3月アーカイブ

東日本大震災は悪夢のような現実である。原発が安全宣言に至るまではまだいくつものハードルがあるだろうし、復興というところまでの、その端緒につくところまで、まだ時間がかかる。原発の状況は震災が今なお進行中で、終わっていないことを表している。今まではなかった現象であり、それが現実のようである。

支援の声は、非常に大きな規模で、世界中で巻き起こっている。たいへん有難いことだが、長くかかる支援体制をこれから先ずっと支えるのはやはり自国民でなければなるまい。とにかく長くかかることを覚悟しなければならない。

経済的には中期では復興需要もあって、立ち直りを見せるだろうが、長期的にはただでさえ大問題だった国の債務の問題に拍車をかける。日本と日本人のスタイルを変えないと、この危機は乗り越えることはできない。被災した方々、犠牲になった方々を思えば、ライフスタイルを変えて、新たな生き方をするしかない。

こんな災害のなかで、混乱のなかで、略奪がひとつも起きない日本を世界は感嘆したようだが、そんなことを褒められても・・・と思う。別にそんな賞賛はいらないから、こんなにも犠牲者が出ないで欲しかった。

子供や感受性の強い人には、この空気に不安やストレスを感じることが多いようだ。同じ国に起こった極めて大きな悲しみと苦しみを感じて不安になることは不思議では感じない。そして、直接被災した人以外にも様々なストレスをいろんな人々に与えることになるだろう。だから、支援の輪を広げようとする行為は素晴らしいのだが、決してすべての人に自分たちのイメージする支援を強要してはいけない。また協力しないからと言って、非難するようなことがあってはいけない。人にはそれぞれの方法とタイミングがある。支援を呼びかける人は、世の中、物質的な支援が出来る人、労力が提供できる元気な人ばかりではないことの配慮も忘れずにしたいものだ。せっかくの「優しい気持ち」は、すべての人に与えていくべきである。一方、今、具体的な支援を出来る人たちは進んでトライして行こう。おそらくソーシャルメディアがそれぞれの活動意志をサポートする大きな力になるだろう。それは既に起きている現象がほぼ証明しているように思う。
ただ、ひとりひとりが出来ることは、日々の生活の中にある。もちろん当面の節電もそうだが、あまりに自粛ばかりでは、経済がシュリンクしてしまう。あえて外食をしたり、普段の経済活動をすることにしよう。私は義援金のほかにもしっかり普段の生活のなかでお金を使おうと思う。行き過ぎた自粛は決してみんなのためにはならない。

広告会社の仕事を、コンサルティング、プランニング、オペレーションと3つに分けるとして、まずオペレーションにおけるいわゆるケーパビリティは、当然大勢の人間による組織力とスキルトランスファーする仕組みでしか解決ができない。プランニングも個人力が中心とはいえ、今後は集合知をどう活用するかが注目される。組織的にプランニング能力を上げるという手段もあり、お互いに刺激し合う環境をつくることが重要だ。プランニングのための情報を取得するためには組織力が必要でもある。もちろん発想力は有能な個人によって形成されるものなので、組織で解決ができないことが多い。少数精鋭のブティック型で対応するのが特にデジタル領域のプランニングに向いているかもしれない。
ただ、ことデジタルマーケティングのコンサルティング能力においては、今のところ「どこ(どの会社)に頼むか」ではなく、「誰に頼むか」に帰結する。知見と構想力はそれが一番高い個人に適わない。いくら会社にいる大勢の人間が束になってかかっても、一番能力の高い個人ひとりに軍配が上がることが多い。
そしてそのコンサルティングにおける知見と構想力はソリューションサプライヤー側の経営者には欠かせない。広告主のマーケティングコンサルをする会社の経営者にマーケティング知見がないのでは洒落にならない。広告会社の今後の方向性のひとつがコンサルティングエージェンシーだとすると、戦略コンサルのように、その経営者は代表パートナーのような存在である必要がある。

広告主は仕事を依頼する会社のオペレーションのみ買うのであれば良いが、プランニングやコンサルティングを買うのであれば、その会社の経営者のマーケティングコミュニケーションに関わる知見や構想力を問わないといけない。海外の経営者は若くて、ソーシャルメディアとマスメディアのそれぞれの強みも弱みも双方体験的に理解している。そうしたクライアントに対して、広告会社の経営者という個人に求められる要素もおのずと分かってくるはずだ。経営トップがソーシャルメディアくらいは活用していないと、選択肢にすら入らない時代が来る。

 今の広告マーケティングとその周辺に起きている激動を理解し、認識して、即、手が打てるかどうかに焦点を当てると、広告会社のトップに求められる能力は半端なものではない。業態そのものが問われる変革期であり、平時ではないからだ。
 会社のトップに立つということに関しては、社員がその人物を社長として結束するという、いわゆる求心力をうんぬんすることが多い。サラリーマン社長であれば尚のこと、社内で認められるかが問われると思われている。
 しかし、果たして求心力なる内側の論理に偏った発想だけで、広告会社なる業態の経営トップが成り立つであろうか。広告会社のトップとして認めるのは社内ではなく、クライアントなのではないだろうか。
 むしろ遠心力が大切なのであって、外に働きかける力があって、クライアントに認められるからこそ、社内的な信頼を持ち得るのだ。
ある意味、広告会社のトップは、その会社のナンバーワン営業マンであり、ナンバーワンプランナーであり、ナンバーワンコンサルタントであり、ナンバーワンプレゼンテーター(これは和製英語)でなければならない。つまり能力でナンバーワンだからトップを張るのだ。
 単なる管理職のトップでは成り立たないのが、広告会社というエージェントであり、情報やコミュニケーションを商売にする業種の経営者の条件だ。情報発信力を持ち、マーケティングコンサルタントとして、クライアントの経営陣と丁々発止できなければ意味がない。コンサルティングファームの代表パートナーのような存在でなければならない。社内マネージメントしかしない社長というのはあり得ない。
 クライアントの経営トップの年齢が若返っているなかで、(外資であれば40代前半のエリートがどんどんトップを張るなかで、)メディアやコミュニケーションの構造的変革を体感的に理解している彼らと伍していく力量が試される。そういうトップの能力しだいで、社員全体のスキルも上がる。人間しかリソースのない広告会社とはそういうものである。

 市況は回復しつつあるが、構造的には今のままの広告代理業の将来は明るくない。総合広告代理店の中にはリストラをせざるを得ない会社もある。それだけ収益性が悪くなっているのと、従業員のスキルが時代に追いつかない(経営者も追いついていない)状況にある。
 しかし、アジアを中心に海外に目を向けると、日本では古くなってしまったようなスキルの発揮しようが、ずいぶんあるように思う。

 以前、海外のネット媒体を買い付けることがよくあった。海外のメディアバイヤーと仕事をすると、その粗い仕事ぶりにびっくりすることがあった。インプレッション数の未達などは当たり前で、ホスピタリティのかけらもない。
 ホスピタリティという話だと、名旅館「加賀屋」が台湾に進出したのはニュースでも結構取り上げられた。日本人の「ホスピタリティ」の象徴のような、サービス業の極みのような「スピリット」が海外進出する時代である。
 
 私は、ずっと前から新卒の採用の面接で学生に、「広告って何業だと思う?」と聞いている。正解がある質問ではないかもしれないが、出来れば「サービス業」と言って欲しいので聞いている。「サービス業」としての「広告」という側面では、日本の広告業は極めてお客である広告主への「ホスピタリティ」が高いと思う。
 そうしたものをアジアに持って行って評価を受けるということもあるのではないだろうか。アナログな広告しかできなくても、成長率の高いアジアでは別にアナログな広告でも「物は売れる」。デジタルの理解はあったほうがいいが、それ以前に広告業のサービス業としてのスキルがあれば、(言葉のハードルさえ越えれば)アジアで通用するのではないだろうか。製造業では、職人技の継承者がいない日本を離れ、海外で技を引き継ぎ自己実現を果たす団塊世代も多い。広告マンはどうか。日本の広告マンの長年培ったノウハウとスピリットは特に新興アジアで価値を創れないものだろうか・・・。

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