2010年12月アーカイブ

 テレビ広告の効果に関する議論は当然昔からあって、変遷しながら様々な考え方が提示されてきたが、トリプルメディア時代には、また従来の考え方と少し違ってくるように思える。
 最初に断っておくが、競合ブランドの出稿状況との兼ね合い(シェア・オブ・ボイス)は大きな要素で、投下量の最適化というのはそう簡単ではない。それは別途考慮されるべきものとの前提で、下記に考え方を記す。(今回はどちらかというとマス広告のバイイングを主にやってきた宣伝担当の方向きの話です。)

 テレビ広告の到達量と、広告認知率の相関は変数が多く、特にクリエイティブによって、またそもそものブランド力(コミュニケーション資産)によって違う。個人GRPで500%以下の投下で、広告認知率が10%しかとれないものも、80%取れるものもある。また認知率調査をすると、必ず誤認、つまり実際にはやっていない広告を認知したと答えるケースがある。まあ平均値で〇〇GRPで広告認知〇〇%ということにはなるが、さてテーマはどんな指標を目標にするかということになる。

 もちろん商品カテゴリーやブランドごと、あるいはターゲットによっても変わってくるが、しっかりした調査をしてきているブランドでは、単純な認知の先にある評価、つまり「魅力がある」と評価したり、「評判がいい」と周りの評価を認識していたり、「購入意向」、「購入実績」を抑えている。

 おそらく「続・トリプルメディアマーケティング」的な講演では、お話すると思うが、従来の意識調査で把握できる指標だけでなく、トリプルメディア時代では、行動を把握できる、そしてこのユーザー行動を指標として管理し、それをドライブさせるマーケティング施策が必要となる。(この件の詳細は別途)

 さて、こうした認知以上の指標をしっかりとると、テレビとネットを組み合わせる目的が明確になってくる。例えば、テレビCMだけで認知した人の「評価」、「購入意向」、「購入経験」と、テレビCMとWebの両方で認知した人の、同じ指標に大きな差がでている場合、「単なる広告認知者」をより多く獲得するよりは、いかに「ブランド評価者」を獲得するかを目標にする方が戦略的だと云える。というのも、ブランドを評価してくれたり、購入して利用経験をしてくれる人を獲得する方が、ソーシャルメディア空間でのレピュテーションをより期待できるからであり、逆にいうといくら広告を認知する人だけを多く獲得しても、オピニオンをもって発信してくる人を獲得できないなら、広告投資のパフォーマンスは低いと言わざるを得ないからである。

 そこで、同じ投下コストでリーチをシミュレーションしてみる。スポットの取り方や持ち単価にもよるが、あるケースだと、テレビで約3億円の出稿をしても、5千万円減らして2億5千万円にしてもリーチはほとんど変わらない。テレビを減らした分の5千万円をネット広告に投じてみると(プランの詳細は省くが)20%強のリーチが獲得できる。テレビと合わせると、テレビだけより多くののリーチが獲れる。(テレビだけでこのリーチを獲得するには約4億5千万が必要だ。)
その上で、テレビとネットの両方に接触した人の広告認知以上の「ブランド評価者」、「購入意向者」、「利用経験者」をしっかり捕捉して、どう組み合わせると単なる「広告認知」だけでなく「ブランド評価者」をより多く獲得できるかをベンチマークする必要がある。

 もちろんこれはメディア配分の議論だけでは意味がない。コミュニケーション施策そのもの(コミュニケーションプラン全体)が何を目標に設計されるかということに帰結する。
トリプルメディアの3つの円の真ん中(3つが重なっている部分)には、「統合シナリオ」というべき「コミュニケーション戦略」が位置づけられる。

 今、生活者のデジタルメディアへの接触時間は、メディア接触時間の21.6%を占めている。一方、広告費としては10%強しかないので、このギャップは埋まっていくべきものと考えられるが、単にそういうことより、「ブランド評価者」の獲得効率で、テレビ出稿やWeb施策、モバイル施策、ソーシャルメディア施策を、トリプルメディア連動という概念のなかで組み合わせることが必要である。結果的にデジタルメディア投資は増えるとは思うが・・・。

 マス広告を中心にペイドメディアへの出稿をメインでやってきた宣伝部でとっては、オウンドメディアとソーシャルメディアを考慮して組み合わせないといけないというミッションは、そんなに簡単ではない。ただ、ソーシャルメディアにも連携して「ブランド評価者」をいかに効果的かつ効率的に獲得するかということに、目標を再設定すると、到達量や認知率だけを指標にしていた時代よりは、マーケティング担当(ブランド担当)や広報担当、顧客窓口担当と連携して、同じ目標を共有して機能する「トリプルメディアマーケティング」発想に近づくのではないかと考える。

 組織体制が時代に追いつくにはそれなりの時間がかかる。この間、いくら組織体制が悪いと愚痴を言ってみても、対応できなければ担当者のせいにされるのだから、企業内で、少なくとも、ブランドのマーケティング担当者と、広報担当者と、お客様窓口担当者は、マインドと情報の共有を進めた方がいい。3者で「握る」ことをお薦めする。このあたりうの詳細は、来年の講演で・・・。

 「格差社会」というワードが出来て久しいが、雇用問題やワーキングプアを問題視するマスコミは多いが、前回の参議院選挙を例に出すまでもなく、今までも放置されてきた「1票の格差」は、本当にこの国は民主主義なのかという根本問題であるにもかかわらず、なぜかメディアはこの話には鈍い。「各地に弁護士らによる原告団ができました。」程度の報道しかなく、問題意識があるとは到底云えない。

 もし、今から戦前にあったように、納税額に応じた選挙権などいう話がでてきたら、どうだろうか。マスコミも含め大反対の大合唱になるはずだ。私も当然賛成ではない。例えば、納税額に応じてあなたは1票だけど、あなたは3票分ですね・・何てことがおきたら、貧富の格差の上にそれをもっと助長すると言って、もちろん大反対でしょう?
 でも、地域によって、あなたは1票分ですが、あなたは5票分ですよ・・・ということがまかり通っている。これは基本的人権にまで話が及んでもおかしくないのではないだろうか。普通の感覚では格差が2倍以上あってはいけないだろう。
 しかし、どこか暗黙の了解として、地方は恵まれていないのだから・・みたいなところがありはしないか。「それとこれは全く別の話だ。」そんな感覚があって、是正しようとしないのはもってのほかだ。原理原則を大事にしない「日本人的見識のなさ」の代表のような話である。
 今、国会は違憲判決が出るような1票の格差で成立した参議院の勢力図で衆参がねじれている。こうした現象で起こる政局は、「こんなエネルギーがあるなら政策実施に少しでも持っていけよ」と思うことばかりである。

 地方政治でも首長と議会の2元代表制に疑問が投げかけられている。発展途上国も含め各国が台頭し、スピーディな政策実施が求められる中、あきらかに民主的プロセスが結果に劣後している日本が、実はもっとも大事な民主的プロセスである選挙の1票の価値の問題をほったらかしているこの矛盾たるや、全く・・・と思いませんか。

 「報道の自由」や「国民の知る権利」を振りかざす一方で、マスメディアはさんざん報道を通じて特定の個人や組織を非難してきても、その後の結果が自分たちの論調と違う方向に行くと、それを無視することが非常に多い。つまり恣意的に報道しないという行動に出る。
そういう意味では実にフェアではない。
 さて、西松建設の裁判はその後どうなっているのか、小沢さんの秘書の裁判はどうなっているのか、てんで報道されない。訴因の変更が行なわれていることも報道されない。
 と思っていたら、今朝の「朝ズバッ」は傑作だった。
森ゆうこ議員の発言に対して、裁判が訴因変更になっていて検察の公判維持が難しい状況についても、コメンテーター(といっても新聞社やテレビ局の報道の幹部)が知らないということがバレた。捏造報道を指摘されて、まともな反論ができず逃げの「話のすり替え」しかできなかった。

 あらあら・・・。

 視聴者もバカじゃないので、マスコミが恣意的に報道しないことをおかしいとは感じている。ただマスコミが特定の政治勢力に加担しているとまでは思わないので、まだそれほど深刻に受け止めていない。今朝のようなやりとりを見せられると、知らないで平気で非難報道を続けているのが分かってしまって、何だろうこの人たちは・・・という印象だけ残った。何千万人の視聴に堪える見識などないのが露呈しただけになってしまった訳だ。
 どうやら陰謀を遂行するほどの、頭脳はないのが分かって、みんな安心した。という訳だ。

  ちゃん。ちゃん。

 日本人独特の「空気を読む」という文化は、周りに同調することで自己防衛するという世渡りの術として「島国日本」に大昔からあるのだろうが、全体の論調が、何か理屈のない「気分」に支配されていることは非常に多い。マスメディアが海老蔵さんをバッシングしていれば、なんとなく批判的なことを云って見るというような、自分の考えがそもそもない人の態度は周りにいくらでもある。こうした時、「それは違うんじゃないの?」としっかりした見識をもって、その場にあるムードを壊す人がもっといないといけない。
 日本人はムードに流されることで、たいへん痛い目にあった。その反省は、「しっかりした論理で議論を交わす。」、「大勢に流されないで、よく考えてみる。」という作業を意識的に行なう以外にない。支配的な論調に立ち向かうということは非常にパワーの要ることだが、プリンシプル(原理、原則)をしっかり頭に入れた上で、ものごとの是非や評価をしっかりできるようになりたい。
 そのためにも、多くの人たちの見識を知る、考え方に触れる機会を多くもつことが重要である。私は、ツイッターを使うようになって、ブログに書かれているマスメディアでは得られない見識に出会うことが多くなったと思う。

 この価値は非常に大きい。自分にない考え方やアイディアに出会えることで、こちらも触発される。思考にドライブがかかる。見識あるミドルメディアとしてのソーシャルメディア空間を自分の見識を鍛えるたいへん有難いメディアとして評価している。

 様々な業界が、ビジネスモデル改革を余儀なくされてきた中で、自らのビジネス変革を突きつけられながら、まだコレと言った行動に踏み切ってはいない業界もある。

 対応できるかどうかは、当然だが、経営トップの能力と行動で決まる。

 経営トップが、変革するビジネス実態を理解し、認識し、自分で咀嚼して、戦略立てをし、それを社員に理解させる。

 新しいことを始めるためには、しっかりした理念が大事だ。

 新しいビジネスなのだから、新しいことを勉強しなければならない。経営トップが自分で分からないことを、従業員にやらせるというナンセンスな話はあり得ない。


 サラリーマンとして頑張って「役員にしてもらう人」は多い。日本ではほとんどそうだ。でも経営というものは現場の実務とは全く違うものだ。プロの経営者になれる人はそうたくさんはいない。それでも現場の実務が分かっていてマネージメントができるから役員になる訳で、仕事の中身が変わってしまって、今の現場が分からないのでは、プロの経営者でも、実務派でもないというどうしようもない役員でしかない。

  今はとにかく若くて強いリーダーが必要だ。速くて正しい判断と執行ができる限りにおいては、ある意味独裁的リーダーであったほうがよい。

 そして、当然、いつかは彼の上を行く経営判断ができる人物が出てくる。リーダーのミッションは、経営判断を誰に委ねるかを決め、ポストを譲ることだ。
 これが、社長がすべき一番大事な仕事である。そこでは後継者を育てるなどという思い上がったことをする必要は全くない。人はそのポストが育てるものである。リーダーが育てるのではない。「出来る人」はリーダーがすることを、その正しさも間違いもしっかり見ているはずで、学習しているはずであるからだ。

自分で判断して執行し責任をもつことを繰り返すことでしか経営者は育たない。そのチャンスを奪ってしまっては、会社の将来はない。トップにいる経営者が肝に銘じていなければならないことである。

 

 ずいぶん前に、正月の初売りに恵比寿三越に行って、いつも買っている服のブランド店に行ったら、すぐ売り切れてしまった。私はその店の常連で、かなり売り上げに貢献していたはずだか、並ばせておいて「売り切れました。」という。これを期に私はその店で商品を買うことを全くしなくなった。
 お得意さまに不愉快な思いをさせて、この日だけの客を早くから並んだだけで優先するのは全くの逆効果だろう。日頃の感謝の気持ちでもあれば、福袋など、上客には、店から持ってくるくらいじゃないと。
 イベントとして集客しても、そのほとんどは得意客になるわけではない。リピート客をいかに醸成していくかがもっとも大きな課題なのに、一元さんにリーズナブルな商品を売ってしまう愚を冒している。サンプリング効果より得意客なくす方が大きなリスクだ。

 ちなみにこの店はその後正月の福袋をやらなくなった。理由は分からないが、でも私はそこでは未だに買っていない。一度逃した客は戻らない。今ではその店は既にない。長続きする店は少ない・・・。

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