2010年8月アーカイブ

 読売ADレポート「OJO(オッホ)」の今月号の山本直人さんのコラム「マーケティングの新レシピ」の内容に触発されて、テレビに関するエントリーをひとつ。

 博報堂DYメディアパートナーズさんの「メディア定点調査2010」のデータから、テレビの接触時間が特に女性層で増えていること、地上波デジタル放送の利用経験率が、2006年にはまだ17.0%に過ぎなかったものが、2009年に57.1%、2010年には73.8%とここに来て急速に伸びていることから、大型画面、デジタル高画質、BSデジタルでの多チャンネル化が、視聴時間を伸ばしているとしている。
 実際、ブラウン管から、液晶やプラズマの大型画面とデジタル高精細画像によって、テレビ視聴の価値はかなり上がったのではないかと考える向きもある。またBSデジタルを中心にミドルゾーンの視聴量のコンテンツでも高画質で観られるチャンスが増えた。
 全体としてはテレビメディアにとって非常によい環境になってきた訳だ。このところの広告需要の悪化や、インターネットに押されて守勢一辺倒だった感はぬぐえないが、そろそろ王者の復権の時期かもしれない。
 しかし、その復権の仕方は、従来どおりの広告枠の需要がまた高くなるというような単純なことではないだろう。おそらく需要はミドルエンドな領域で拡大するのではないだろうか。BSデジタルをはじめとする多チャンネル化のなかで、コアな視聴者に比較的じっくり訴求したい広告主ニーズに合った、番組コンテンツや長尺CM、ネットのソーシャルメディアと連動の効いた仕掛けと仕組みが、試されるのだと思う。云ってみれば、ネットやモバイルと対等な関係になれるテレビこそが、テレビの復調を支えることになるのだと思う。
 
 地上波の「とにかく短期に世帯視聴率を獲らないといけない縛りの中での番組企画編成」、15秒CMフォーマットでしかほとんど訴求できない枠組み、とはちょっと違う比較的フレキシブルなBSデジタルあたりから、テレビの新しい使い方が発見できるという感覚をもつ。
 逆に、地上波の方は今後視聴率の価値をどう測るかが課題になるだろう。広告主によって評価軸は変わってくるだろうが、1%はどんな視聴も同じ価値とする量り売りには馴染まない視聴の質を大事にする広告主が確実に増える。テレビ出稿のネットへのサウンドの仕方(響き方)をつぶさにトラッキングすると、視聴の質は見えてくるはずだ。
 また、番組の作り手が、どれだけ本当の視聴者主導のマインドを獲得できるかがテーマだ。タイムシフトなんてのは当たり前だ。従来の送り手の上から目線を完全に脱却した番組制作者がテレビを変えるだろう。

 ブランドメッセージをプッシュする力として、これからも他の追随を許さないテレビ。この力を本当にうまく利用するのは、デジタル、ソーシャルメディアの知見を持ち、トリプルメディア構造を上手に使う広告主に限定されるかもしれない。そのときの真の番組プロデューサーはおそらく広告主自身でなければならない。

 ベムがインターネットを始めたのは確か93年ごろで、伊藤穣一君に勧められて、当時彼が日本の代表をしていた最初のインターネットプロバイダーPSInetの会員になった。そのころはまだ、ブラウザというものはなく、カメレオンというインターネットキットには、メール、ニューズグループ、ゴーファーといったソフトがあった。私はニューズグループで、ネット上にあるmidiファイルを収集しては、ライブラリーをつくったりしていた。

 私のコンピュータとの出会いは、学生のころのフォートランで、言語間の「距離と方向」を多変量解析をかけてプロットするのに使っていたと記憶している。その後、入社した広告会社でSORD(ソード)という会社を担当していたため、漢字PIPSと呼ばれた、今でいうと表計算ソフトを使って、TVスポットのスケジュール表なんかをつくっていた。(今でも某広告会社のスケジュール表フォーマットは私がつくった大手ビール会社さん用である。)このころ私の会社が三浦海岸で市民マラソンイベントの運営をしていて、3000人からのランナーが走るなか、その日のうちに順位とタイムが印字された賞状を渡すことができる仕組みを、ソードのPIPSを使って実施していた。入社直前のアルバイト時代から何年か携わったのだが、当時今のヤフー井上社長もSORDの技術者としてこのイベントに関わっていらした。以前井上さんと会食した折に、その話をしたら、「海岸で一生懸命バグ直しをいたんで、顔を合わせていたんでしょうね。」という話になった。
 その後、MS-DOSの時代になって、日本にはなかったプレゼンテーションソフト「ハーバードグラフィックス」(スライドショーが格好良くて)を使いたくて、DOS-V機を買ってしまった。回りはNECの98が全盛期のころで、みんな98で企画書を書いていた。当時ラオックスコンピュータ館の4Fが全フロアソフト売り場だったが、9割が98ソフトでマックが棚4~5くらい、DOS-Vは棚半分もなかった。世界中に何万本もソフトがあるからという文句に騙された。
 そうしているうちに、インターネットに出会う。実はパソコン通信をしないで、インターネットを始めた。非常に稀有な例のPC体験ではないかと思う。

 そして、今年iPadを手にして、思うことがある。私の30年に及ぶコンピュータとのつき合いは、実に試行錯誤と苦労の連続で、基本誰もしっかり体系的に教えてくれないし、せっかく誰よりも早く始めても、機能を使いこなすのは皆後から始めた若い人たちだし・・・という具合。結局本当のところはパソコンに馴染めない。結局いろんなことを強いられる訳で、使っているのか、使われているのか分からない何か化け物のような存在だ。

しかしiPadはどうだろう。途中でボタン押して閉じちゃえば、イライラしないし、ユーザーインターフェイスがここまで使う側にフレンドリーなのは初めてだ。今年80歳の私の母は今、私があげたiPadで「文字が読みやすい」と文庫シリーズを読んでいる。また子供たちに持たせると、本当に楽しく使いこなすようだ。

 今、私のiPadはベッドに転がっていることが多い。仕事にも使うが、寝る前にYoutubeでロックギタリストの演奏を観ることが多い。
 この夏は、irigというiPhoneやiPadをアンプとエフェクター代わりにしてギターが演奏できるツールが発売されるので、予約して今から使うのを楽しみにしている。
 
 インターネットはパソコンに繋がって始まった。今は携帯電話に繋がっていて、もうじきテレビに繋がる。今後は冷蔵庫や楽器や住宅そのものに繋がるだろうし、ウエラブルなもの(たとえば時計やメガネ)にも繋がるだろう。私は日本経済を画期的に再興させる技術はウエラブルな自動翻訳(通訳)機ではないか(ツールの力で日本人がみんな英語でコミュニケーションがとれる状況)と思っている。
 パソコンはその汎用性のために、ユーザーにとって中途半端にブラックボックスなもので、ある程度はプログラムやHTMLみたいな言語に精通する方がより活用できた。テレビはどうして動画が映るか全く理解する必要はないが、iPadはほぼそんなツールだ。
 理系でもないし、技術者でもない私のPCと向き合う歴史は、今年から劇的に変わるような気がする。とにかくすごくいい事だ。

 自分の親を弔いもせずに、死んだことも役所に届けない。もらえる年金が貰えなくなるからという悲しい理由と、こういうことさえ面倒になってしまう無気力。今世紀になってからの日本で露呈し出した社会の「だらしなさ」(社会保険庁なんかに象徴される)にひどく滅入る思いをしている人は多いだろう。そしてひとつ間違えば、あまり他人事でない感覚も共有しているかもしれない。
いろんな見方があるだろうが、基本はやはり「社会の箍が外れてしまっている」としかいいようがない。みな自由や個人主義を求めてきて、「うっとうしい」と感じていたものがなくなることの代償は大きいようだ。「長寿国のデータは嘘かもしれない。」「子供が虐待されていても押し入ることもできないで命を守れない。」という情けない状況はその一端に過ぎない。「社会の箍が緩む」ことで、噴出してきたものは、思いがけない現象である。
それは日本人の精神面に大きな影響を与えているように思う。潜在的に持っている病症が、箍が緩むことで病気となり、障害となって多くの人を蝕むようになる。もちろん昔もそういうことはあったし、表面化していなかったと言えば、そういう面も少なからずあるだろうが、潜在的にあっても「箍がかかっている間」は発病しなかったのだと思う。
この高齢化、少子化、急速なメンタリティの変化は、人間の個体それぞれのDNAにプログラムされているように、ひとつの民族にもこうしたことが起きているようだ。
民族の繁栄に対して、衰退期には「民族のタナトス」のようなものが働くのかもしれない。しかし、日本のそれはあまりにも急速で対応が難しい。
日本人は、一回もっと枯れてしまった方がよいのかもしれない。そのほうが病気の進行も少し緩慢になって、ゆっくり打開策がとれる。または、元気をよその国から分けて貰うかだ。いろんな意味で移民政策が「肝」になってくる時代が迫っている。

 今、「ラテンに学ぶ幸せな生き方」という本を読んでいる。「幸福」はあくまで主観である。人と比較しない生き方や価値観は、学ぶことが多い。
 なくした「社会の箍」は、おそらくもう元には戻らない。とはいえ千何百年もの文化的歴史の延長にある日本人の持っている精神性があるのだから、それを土台に新しい価値観による新しいモラルを構築するしかない。

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