普天間問題にみるメディアの論調

 鳩山首相の体たらくにマスコミが一斉攻撃をしている。ただこうした報道の調子に対して視聴者の多くはどこか完全に同調しづらい何かを感じているのではないだろうか。テレビ朝日のやじうまプラスで、この攻撃一辺倒のメディアの姿勢に江川紹子氏が不自然さをコメントしたが、他のコメンテーターに押し流されてしまった。
 彼女の感覚は何なのか。彼女自身がそのメディアの張本人として中にいるので、はっきり言い切れなかったかもしれないが、それはメディアに、こうまで居丈高に首相を攻撃できるほどの資格があるかという違和感だ。メディア=本土の人間にとって、誰も「肩代わりしましょう。」と言わないにもかかわらず、沖縄の人といっしょに、全く同じ立場のようなふりをして、首相を攻撃できるのかという割り切れなさだ。沖縄からは「これは差別だ」という発言がある。差別があるとしたら、それは政治家だけが差別しているのではない。

 結局鳩山さんは前政権の方針より後退させ普天間の危険をさらに長引かせる結果になりそうだ。結果責任がすべての政治家にとって、これは万死に値する失政である。しかし彼が何とか沖縄県外に持っていけないかとしたことは事実で、(それはあまりに稚拙だったが)本土にいる人間が、すべて丸ごと非難の対象にだけして済ませてしまっていいのだろうか。どこか、いくばくかはあるはずの責任は棚において「あいつが悪い」とだけ言っているように感じる。鳩山さんは我々が選んだ首相だ。選んだ責任を全く感じないなら日本人にはやはり民主主義は根付いていない。

 おそらく、こうした一辺倒の論調は次第に多少自己反省的にもなるだろう。ただそれは論調に飽きてくるからで、最初から見識があってではない。
 論理的な批判はメディアの使命でもある。しかし、見識を欠いた「ただの非難」はよろしくない。

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