2008年11月アーカイブ

IBM.gif広告会社および広告業界が10年後どうなっているか。 IBMが昨年リリースしたレポート「The End of Advertising as we know it」には、ふたつの変化要因、「広告インベントリーのオープン化のレベル」と「メディア消費のコントロールが消費者主導になるレベル」と縦横の軸にマトリックスを描いて、変革の方向性を4象限に分けて解説している。

JAAA広告業協会のセミナーに参加したが、(パネラーと呼ぶのはやめて欲しい。あれはパネリスト)「10年後どうなるか」なんて当然誰にも分からない。
ただ、湯川さんの云うように周辺領域が大きくなるのは理解できるし、そうなるだろう。ただ、「私は頑張って真ん中で踏ん張る」というのも、おそらく一定以上上の世代にだけ許されるのだろう。だいたいシュリンクする領域には若く優秀な人材は入ってこない。優秀な人が入ってこない業界がHAPPYになることは難しい。
 そもそも誰がHAPPYになるのかをもっと明確に定義したほうが良かった。(あまりやると過激になるだろうが・・・。)
 
 さて、周辺領域でどんどん今の我々がキャッチアップできないテクノロジーオリエンテッドな広告ビジネスモデルが生まれる。その担い手はおよそ従来の広告マンとは異質なテクノロジーオペレーションスキルを中核にする人たちだろう。それが興味をそそる仕事かどうかは別にして、広告業界が従来提供してきた価値の源泉=クリエイティブに関しては、周辺領域に流出していっても、これを抑え続けることが重要だ。
 従来のテレビ広告型のハイエンドなコミュニケーション開発の装置は広告会社にある、しかし、消費者主導のコミュニケーションを反映するアマチュア主導のコミュニケーション開発装置はない。しかるにクリエイティブに関わるこの装置を早急に広告業界が手中にしておくべきである。

「クリエイティブ×テクノロジー」という概念は、従来からの継続的な我々の作業としてのクリエイティブを進化させるという意味と、周辺に流出してもコミュニケーションの内容を創出することに関しては、広告業界は今後も抑えていくんだという意志が必要であることの2つの意味がある。

「企業にとってWebは自社メディアである。」

これを第二段階に進めると、単に企業サイト、ブランドサイトから非ブランド化、つまり純粋な情報サイトとしてのWebメディアを保持し、マーケティング活用しようとする動きがでてきた。

 最も成功しているのは、ジョンソン&ジョンソンが運営している妊婦や乳児幼児をかかえる母親向けサイト「Babycenter.com」である。

 「企業による非ブランドサイト」とする条件は、以下の3つである。

① 企業名や商品名を前面に打ち出していないこと。
② 独自ドメインで長期に渡って運営していること。
③ メディアによる広告企画ではないこと。

事例をあげると

BabyCenter
ジョンソン・エンド・ジョンソンによる妊婦・母親向けの情報サイト。経営が破綻したeToysから2001年に買収。積極的に世界展開。

http://www.babycenter.com/

BeingGirl
プロクター・アンド・ギャンブルによる思春期の女性向けサイト。カラダとココロの話題、生理用品の紹介など。日本を含む世界で展開。

http://www.beinggirl.com/

Bud.TV
アンハイザー・ブッシュ(バドワイザー)によるビデオサイト。

http://www.bud.tv/


日本でもこうしたサイトは立ち上がってきている。

e-days
キリンビール(キリンラガービール)による大人向けのウェブマガジン。阪急コミュニケーションズが制作。
http://e-days.cc/

Macoron!
ワールド・ファミリーによる子育てコミュニティーサイト。ミキハウスやユニ・チャームなど、多数の協賛あり。
http://macoron.jp/

Mouth & Body PLAZA
サンスターによるオーラルケア情報サイト。
http://www.mouth-body.com/

WOMAMA
プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパンによる子どものいる女性向けサイト。大塚製薬やワコールなど、多数の協賛あり。
http://www.womama.jp/

Yuta-tto!
やずやが運営するSNS。健康手帳など健康に特化したツールが用意されている。
http://yuta-tto.jp/


 ただ、その規模感に関しては、米国のサイトは桁違いといえる。
その最大の理由は、企業のマーケティング体制に起因する。現状のマスマーケティングを前提にした組織体制には、非ブランドサイトを運営する受け皿がない。
 そもそも日本のマスマーケティング企業のWebキャンペーン展開は、従来のプロモーションコストの配分モデルのなかでWebを使ったアイディアを実現させているに過ぎない。
Webをマーケティング活動の中核に置いたり、自社メディアとして大規模な「非ブランドサイト」を保有したりするには、組織構造とマーケティングコストのかけ方を再編成しなければならない。ジョンソン&ジョンソンでは、事業部門をまたがってこうしたメディアマーケティング機能をもつ体制に組織改編を行なっていることに意味がある。日本の企業も組織の見直しやCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)の設置などが急がれる。

 また特に多数のブランドを保有する企業にとって、マーケティングコストを多くかけられるブランドは良いのだが、さほどコストをかけられない中小規模ブランドも並存する。これらを大型ブランドと同様のテレビ出稿などをしても、シェア・オブ・ボイスが小さくてあまり効果がないケースが多い。中小規模のブランドの継続的なプロモーションには自社のWebサイトメディアをうまく活用することが可能だ。
 複数のブランドが共有のコミュニケーションメディア資産として、Webサイトメディアをもつイメージである。そのためにも事業部門横断的なメディアマーケティング部門を編成する必要がでてくる。
 さらにこれは当然だが、非ブランドメディア(情報メディア)をもつことで、商品開発をはじめとするマーケティング装置になる。消費者インサイトを発見するツールとして、Webサイトでも消費者行動は重要なデータとなる。従来マスマーケティングでは、消費者の「意見」を聞いてきたが、「行動」を把握できるWebメディアの方が次世代型のマーケティングができる。「行動」の方が正直にインサイトが分かる。

 

コミュニケーション・ビジネスについて、サイエンティスト石井 裕さん(マサチューセッツ工科大学メディアラボ教授)の言葉を引用させていただきます。(礼)

あらゆる眠っている記憶、感情、それらを起こすためにあらゆるところから信号を送り込むこと。広告会社が送るメッセージが記憶と共振して、私たちの中に眠っているものがむくむくと起きていく、そして、購買意欲とか幸せにつながっていく。たとえばコミュニケーション・ビジネスとはそういうものだと思います。

なるほどなるほど。最近、コミュニケーションのツボは、「わかること」と「わからない」ことの間にあるな、と考えていたのですが、それってこういうことかと合点がいきました。
そう、わたしたちの脳の中には、いろんな記憶が自分の都合でマッシュアップされた状態で詰まっています。それが、ふとしたキッカケで呼び起こされたとき、頭の回路が起動して、しまいこんでいた「自分が気持ちいいイメージ」を思い出しワクワクしてくる現象が起こるわけです。一種のマイブームのように、そのイメージをしばらく舐めまわす感覚かな。
知っていることと知らないことの間には、すっかり意識の底に隠れてしまった記憶や感情があった、ってことなのですね。ある刺激で、その破片に文脈が与えられて再構成されたとき、脳で火花が散るのでしょう。
前回、わたしがジョージ・クルーニーになってしまったという話しをしましたが、それは、わたしのなかに眠っていたジョージが眠りから覚めて活動しだしたということ。わたしはセルフイメージとして、ジョージ・クルーニーな面を持っていたんですね。勝手ながら。
これが、Your inner ジョージ・クルーニーです。

じつは、前回触れたラブレターとしての広告が成立するのは、こんなケースが成立するときです。「ジョージ・クルーニーのように、渋いけどお茶目なあなたに、この車に乗って欲しいんですお願いっ!」と口説かれちゃったわけです。ただし、現実にわたしの購入行動は起こらないのですが。失礼しました。

Your innerなになにの事例でもう1つ。i-podのビジュアルは、Loganによるものですが、あの色彩と、人物のシルエット、動きは、自分の中のリズム、ビートを深いところから覚醒させる特別な力を感じます。
http://movies.apple.com/movies/us/apple/ipoditunes/2008/ads/apple_ipoditunes_gamma_20080424_r848-9cie.mov
Your inner beat!

こんな、奥深いところの何かが覚醒したような体験をしたとき、ひとは合理的には説明しづらい消費行動を起こすことがあるように思います。その感覚を確保するために。

以前、わたしの同僚たちに「いつもの自分なら買うことはないはずなのに、なぜか買ってしまったもの」を挙げて自己分析してみようというゲームみたいなことをしました。
小型バイク、子どもにはふさわしくないほどの高級机、アンティーク人形、かなりマニアックなアウトドアグッズ、スポーツクラブなどなど。言葉だけ見ると普通に見えるかもしれませんが、当事者のキャラクターと並べると、「なんで君が!?」という理解しがたいギャップがそこにはあります。
自己分析を聞くと、しかしそこには共通項があって、基本的に男性は自分の中の「別の自分」が、あるボタンで覚醒して、その「別の自分」の論理で買うという行動を起こしたということ。その「別の自分」は、他人から「ありえない!」と中傷されても揶揄されても、決して修正されるものではありません。その「消費」によって覚醒した「別の自分」は、当人にとって何よりもいとおしく、かけがいのないものなのでしょう。一方、女性の場合は、身近に自分の理想のモデルがいて、そこに近づきたいという動機が、いつもと違う消費のキッカケになっているようで、やっぱり男と女は違うんだなと、みんな納得したものでした。Your innerアプローチも、男女で少しメカニズムが違うようです。

ファネルという考え方がマーケティングにあり、漏斗(じょうご)のように、認知を大きく広げ、検討してもらい購入に流し込んでいくというプロセス管理に使う概念ですが、ここで触れた「Your inner」アプローチは、不思議なことに最初のキッカケから購入までが、いわゆる「衝動買い」のスピードで起こることが多いように思います。そこで、これを「落とし穴マーケティング」(c)と呼んでみます。
落とし穴は、わかっていても落ちたい気持ちを抑えられない不思議な存在です。人は落ちたがっているという本質があるのかも、と思うくらいです。
実際にある商品で「落とし穴」を仕掛けたところ、確かに落ちて買うという現場を数多く目撃しました。ここでこんなもの売っても買う人はいないよ、という予想を裏切って。
落ちた人たちは、その前後である意味「別人格」になっていたのでしょう。

「Your inner ×××」を覚醒させる落とし穴が作れれば、即効性の高い施策となります。むずかしいハードルだと思いますが、これができると、ある意味でクロスメディアアプローチは不要となります。ピンポイントで刺せば、あとは買うだけだから。

クロスメディアは「なし崩し」で、「落とし穴」はピンポイントで。
これが最近のわたしのセオリーです。

※以前紹介したARGは「なし崩し」にあたります。

意中の異性とお付き合いをスタートする!という命題にこれという答え=必勝方程式は・・・ない、ですよね。ある!という猛者もいるかもしれませんが、その話題は別のブログでどうぞ。

さて、広告会社の新入社員にこんな質問を投げかけました。
「君は、異性との交際を始めるとき、‘好きです、付き合ってください!’と宣言してからはじめる?それとも、‘こんど映画見に行こうよって感じでカジュアルなデートを重ねて気が付いたら交際してた/させてた’タイプかな?」

これに対する50人ほどの答えはほぼ半々。
筆者のパーソナルラブヒストリーからすると、やや意外。
どっちの意味でかというと、好きです宣言を半数がしていること。立派だ。

筆者はと言うとですね、相手が興味を持ちそうなことを提示して共有体験を重ね、二人だけの話題やキーワードがたまっていった結果、離れがたい親密な空気ができて「これって付き合ってるってことなのね」という状態に『なし崩し』ていく手法を得意としているわけです。相手にとって、そして二人にとって「未知なるもの」を多分に盛り込むことで共感性は高まるので、行ったことのないところ、やったことのないことを相手の許容量に合わせてエディットしていくセンスが問われますが、一発勝負ではないので修正や撤退も少ないダメージで可能といえます。ふむふむ。

好きです宣言は、脈のない場合に無駄な労力を回避できるとか、OKの場合話しが早い(!)など言い分はあるので、短い人生でどちらのスタイルが優れているかはわかりませんが。

さてさて、前置きが長くなりましたが、これ、「クロスメディア」の理解における新旧スタイルの話しなんです。(強引かもしれませんが)

というのも、広告の仕事はこれまで「ラブレター」に喩えられることが多く、巨匠といわれるクリエーターたちも、消費者を口説くラブレターとして、広告にその表現技術の粋を注ぎ込んですばらしい仕事を残してきました。それがいわば広告の歴史だったりするわけです。優れた作品が多くの日本人の心に訴えかけ、実際にマーケティングも成功したという事例は数多く語り継がれています。

さて一方、今日の情報環境の変化の中で、消費者との接点が多様化し、広告メッセージとの接触チャンスを行動動線の中で多彩に配置していく必要がある、という認識にはみなさん概ね異論はないと思われます。それがクロスメディアというキーワードで流布されている考え方です。
しかし、そこにいままでのように「ラブレター型」の広告を配置していくのかという部分に関しては、少し違和感を覚えます。

なぜかというと、
●テレビという「マス(大衆)を導く天の声」が大きな影響力を持っているときに、憧れの世界へと誘う「広告」は、口説いて欲しい消費者に熱望されていた。それは、ときにシニカルだったり自省的であったり、そのたたずまいは変化してきたが、口説きとして十分機能することはできた。
ところが、
●テレビ以外の接点が格段に増え、例えばデジタルの力で、もっと個人向けに「ラブレター」然としたお誘いメッセージがバンバン届く状態が日常化した今日。(申し訳ないが、粗製乱造な感は否めない)
になってくると、ひとはどう変わるのでしょう。

残念ながら、ラブレターという、「結局口説きたいんでしょ!」というスキームそのものが、鬱陶しく、もはや開く前に捨てるような状態に行き着いてしまうわけです。素敵なラブレターが混じっていたとしても。
自分が好きなことは自分で探せるし選べるの!もう受け身な私じゃないの!ということでしょうか。
そんな自立した消費者の言うことを聞こうと変に下手に回るとむしろ大変です。
じゃあどうしたら話しを聞いてくれるの?と問いかければ問いかけるほど溝は深まるもの。嫌いな言葉ですが「うざい」と感じられたら、かなりまずい関係になります。
そういうコミュニケーションも意外と世の中にありますよね。

そこで、「なし崩し」です。
「なし崩し」は、最初から好きとか、付き合ってとかいう暑苦しいことは言いません。
自分を前面に押し出して評価してもらうというよりは、素敵な話題、場所、体験で魅了していくわけです。下心のカモフラージュでもあるわけですが、むしろホスピタリティとして相手に伝わっていくところがいい結果をもたらします。

クロスメディアという考え方のなかで、ラブレター型?なし崩し型?かという二つの視点の間には、実は大きな隔たりがあると感じています。
それは、冒頭の新入社員の半数ずつの、意外と埋まらない隔たりでもあります。

今回のお話しは「なし崩し」型視点を押し出したものでしたが、ネット依存度の高い人、情報摂取量の多い人はこっち側の傾向が高い気がします。変化のなかで増えてきたあたらしい行動基準の人たちともいえるでしょう。
(というか、ひと言で異性を落とせる無敵のアピアランスに恵まれなかった、というのが真実かもしれません。残念!)

さて、ではラブレター広告は、もう終わったのか?

自分の良さを語るタイプじゃなく、相手の本質を射抜く口説き方って、あるんですかね?
これが稀にわたしを刺してきます。
最近、気が付くとH社の新車の広告に出ているジョージ・クルーニーになっていました。自分が。ん~、コミュニケーションってむずかしい。
次回は、「本当のあなたは、こうだ!」と突きつけるYour inner ××××という考え方についてお話ししてみたいと思います。

Atlas Institute のサイトからダウンロードできるスライド「Beyond the Last Ad」を読むと、ひとりのユーザーに複数の広告接触が累積している効果を評価して、ユーザーアクションの直前の広告効果だけで判断すべきでないとしている。「Engagement Mapping」という解析システムでは、1ユーザーが接触するパッシブなインプレッションと(広告フォーマットやサイズなどごとに指標化している)とアクティブ要素(クリックやリッチメディアへのインタラクション)を数値化して、コンバージョンのコストパフォーマンスの最適化をはかるツールとなっている。(いずれにしても、こういう仕組みは、広告のバイイングサイドが配信を一元的に行なっているからこそ把握が可能である。)

http://www.atlassolutions.com/institute_engagementmapping.aspx

しかし、こういう分析を見ていると、日本では検索連動型広告など、クリックされやすい広告、最後の(アクション直前の)広告しか評価されず、ディスプレイ広告が、検索行動をサポートしていても、そこは評価されず、最後の広告ばかりが「おいしいところ」を全部持っていってしまっている訳だ。

このスライドには、検索からのクリックと、ディスプレイ広告のインプレッションを伴なう検索からのクリックを比較すると、コンバージョン率で後者が22%高いとするデータも公開されている。
バイイングサイドとしては、CPAが良くて、たくさん獲得できれば良い。またマーケティング活動の時間軸の設定(半年なのか3年なのか)に応じてROIを最大化したい。

流入を果たした最後の広告ばかりを評価していると、顧客獲得の絶対数と効率の両立を維持できない。ディスプレイ広告の価値をしっかり評価して、そのクリエイティブの果たす役割とそのパフォーマンスを認識できるマーケターが最後に勝利すると思う。

 良く言われる話。「欧米では民放モデルのテレビ放送が広告で成立していることを視聴者が理解しているので、広告の内容もセールスに直接的な表現が多い。一方、日本では広告を出す企業があるから無償でコンテンツを享受できているという理解がない。よって広告表現も視聴者にとってのエンタメ的要素が必要である。」つまり欧米は視聴者が理解しているが、日本では視聴者に対して広告を出すことを和解させる必要がある。

 さて、この話をネット広告に敷衍させよう。
ネットのメディアは当然コンテンツやツールをユーザーに無償供給する場合、広告収入で成り立たせている。
 テレビがそうであるように、日本人は無償で得られることを当然だと思っている。広告をウザいと云い、広告を出している企業があるから、タダで享受できているという意識はない。

こうしたなかで、広告を出す側は、できるだけ広告にレスポンスする人に出したいのが人情である。(この広告に対するレスポンスというのはどう捉えるか、ネット広告の場合、これをクリックだとしてしまうと、メディアはとんでもなく自分の価値を下げてしまう。この議論は別途・・・。)
 マーケティング環境は、以前よりインマーケットの顧客を探し出して訴求することを要求している。
 広告主は投下対象を絞りたい。費用対効果を最大化したい。一方でユーザーは、広告を受け入れやすくするには何かしらのメリットが要る。

 まだまだネット広告は進化を必要としている。だから面白い。

 テレビ広告のメリットは、その圧倒的な到達力、プッシュ力(しかしこれが昔よりかなり落ちてきてはいるが。)そして、出稿量とクリエイティブしだいでたいへん大きな広告認知、ブランド認知を生み出すことができることだ。

一方、デメリットは「見込み客層にも、そうでない人たちと同じ15秒のコミュニケーションしかできないこと」である。
自己関与が高く、購買までのプロセスに段階(ハードル)が多い(つまりファネルが何段階にもなっている)商品カテゴリーやブランドだと、主にアウェアネスに機能するテレビ広告だけだと最終的な購買行動までを促しにくくなってしまった。
 
 もうひとつのデメリットは、マーケティングコストが比較的小さなブランドの出稿において、少量の出稿量ではあまり意味がないことだ。消費者側からするとパッシブな接触態度を前提にするので「シェア・オブ・ボイス」の理屈のなかで埋没してしまう。
マス広告によるマスマーケティング展開が効率的なブランドをもつ大企業でも、中小規模のブランドも抱えている場合は多い。
大型ブランドはマス展開でうまくいくが、同じ企業だからと云って、中小規模のブランドまで同じマス展開が効果的とは云えない。
とりあえずテレビCMはつくるが、150とか200GRPしか打てないのなら、テレビを使うのはもったいないかもしれない。マス展開に成功体験のある大企業ほど、こうした呪縛にはまりやすい。

また、商品カテゴリーそのもののマーケットサイズからして、見込み客対象が数10万人程度とか、テレビ出稿ではあまりにも無駄な投下対象が多くなってしまう場合もある。

もちろん対コンシューマだけでなく、テレビ出稿で流通に販売スペースが確保できるとか、そういう役割ももつのも事実。

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