先日DIGIDAYにテレビのプログラマティックバイイングについて書いた。

http://digiday.jp/agencies/tv-programatic-buying/?platform=hootsuite

で、もっと話を付け加えておきたい。


そもそも日本でテレビスポットがGRP買い付けになったのは、コカ・コーラさんが始めた経緯がある。もちろん米国流を導入したということであるが、当然それまではタイムランク別に1本いくらだった。

 しかし人口動態の変化で今は、テレビスポットには今構造的に若年層に当たりにくいということと、フリークエンシー分布が過少と過多に2極分化するという問題点があり、選局、パターン選定、GRPという基本発注形式だけではこのあたりはクリアしにくい。

また昔からアクチャル達成率がままならない場合も多く、かく言うベムも昔クライアントさんから「お肉屋さんに行って、300gくださいと言って、300g分払って帰って、家の計りにかけたら200gしかなかったら怒るでしょ?」と言われたこともある。

このあたりは、アクチャルは保証しないことは分かっていても、GRPという従量課金であるが故に、保証されないことへの不満がいつまでもつきまとう。

米国では一部アクチャル保証もするらしく、その代わりに「補填分をテレビ放送でするかオンライン動画でするかはお任せ」というプログラムまである。
そのため、外資系の一部のクライアントからはアクチャル保証の要請は強い。

しかし、よく考えると、アクチャルを保証させられると、テレビ局は在庫管理が出来ない。
バイサイドからすると「アクチャルを保証せ~い。」は正当な主張かもしれないが、単にアクチャルが保証されればそれでいいのだろうか・・・。

そこでベムも考えてみるのだが、結局テレビCMの効果は、どう出稿したかとCMクリエイティブ力の掛け算である。ブランド力、クリエイティブ力はテレビ局がギャランティすべきものではない。またバイサイドによって見合うコストは違う。

ということは、将来的に最もリーズナブルなテレビCMの取引は、「バイサイドが視聴質を含めた「出稿プラン×クリエイティブ力」の本当の効果を把握しながら、適正な価格で入札する」ということになるのではないかと思う。

ベムが思うにCMの効果のためにはステブレはできるだけ少なくした方がいいし、番組もバラ売りする方が「いい値段」をつけてもらいやすくなるのではないかと思う。(昔と違って今の番組には1社提供のような番組提供価値が希薄で、ネットスポットの意味合いが強い。)

本格的なプログラマティックバイイングかどうかは別にして、1本1本、オンライン入札をかける仕組みがあってもいいように思う。

人気のこの番組直後のこのステブレなら1本300万円出してもいいという広告主はいっぱいいるはず。もちろんいきなり手売りをなくせと言っているのではない。大量出稿をするが故にパーコストを下げて効率的に買い付ける従来の方法もあっていいが、セルサイドから言えば、有限な枠をいかに上手に高く売るかを考えるのは当然で、そこは「入札応札」による価格形成が経済合理性をもつと思う。


さて、先日あるローカル局の人が訪ねてきたが、4K対応に関しては「ハイビジョン対応にちょっと毛の生えた程度で済みそうで安堵している」と言っていたが、その考えは甘いと言わざるを得ない。

アタラの有園氏が書いているように、確かに4K、8K対応はBSやネット配信で進み、独自コンテンツに強みのない、特にローカル局は存在意味が問われるだろう。

http://unyoo.jp/2016/06/year2030-5g-mobile/

いちおう制作能力の高いキー局は、放送波はどんどんコンテンツ・ディストリビューション手段のひとつになっていき、コンテンツごとにベストなディストリビューションを視聴者が選ぶことになるだろう。

4K、8Kまでの高精細に意味はないということを言う人もいるが、ベムはそうは思わない。実際にそこにいるかのような感覚を持たせる技術は特にバーチャルリアリティで進化しつつ、テレビ画面にも現実空間のような高精細画質が求められるようになる。

もう端から放送を受信しない大画面モニター(テレビと呼んでいいかどうかも分からない)ものも出ている。

視聴者がオンデマンドで視聴するコンテンツの方が注視されている訳で、そこでの広告価値も推して知るべしである。テレビ局が放送だけを事業モデルとして考える時代ではなく、広告の効果的なターゲット到達のためにもっと番組コンテンツとの連動を考えなければならないのだから、単に「放送での世帯視聴率」が取れる取れないで奔走する人ばかりではテレビ局の将来は危うい。

広告主とそのブランドが求めるターゲットとの親和性が高く、ブランドを訴求しやすいモードを形成できるコンテンツ開発をいっしょにしていくことが必要にある。

その昔「鉄人28号」の主題歌の最後に「グリコ、グリコ、グ~リ~コ~」と歌い込めれていたことをよ~く憶えているベムは、今一度ブランドと番組コンテンツがもっと融和した番組開発の時代が来ると思う。

それは、今関東地区で、若年層ターゲットでテレビスポットを出稿しても、ティーンと20代で男女どちらかがターゲットだと、そもそも人口で10%、リーチするターゲットの割合は7%台、ターゲットに当たるCMの表示回数は5%台になる。つまり20回に1回しかターゲットに当たらない。であれば、端からティーンや20代が観る番組コンテンツを局と開発して、多少視聴率が低かろうが、SNS連動やいろんな手段でターゲットへの拡散を企んだ方がいいのではないかと思う。

テレビCMの売り方・買い方も、デジタル化の波と視聴実態のデータによって変わってくるだろう。ベムはそれが、売る側、買う側 いずれにも決して不都合なことになるとは思わない。今より合理性が高くなるはずだ。変わることへの不安はあって当然だが、いい方向に変わることへの期待はもっともっとある。

 広告業界に35年いるとCMの歴史をそれなりに辿って、その変遷をイメージしたりすることもある。最近とみに感じるのは、どうも「ターゲットに強く刺さるCMはつくりにくくなったのではないか」ということである。逆に誰にでも好感をもたれる最大公約数のCM、つまりネガティブな反応が少ないCMが受け入れられている。
 そのためには用意された設定での展開が視聴者も安心して受け入れられるので、シリーズものの好感度が高い。

 否定されない誰も受け入れるCM・・・、それが主流なのだ。

 しかし、それでターゲットに強く刺さるCM、つまりターゲットが自分事化して、単にCM認知だけでなく、態度変容を促す広告コミュニケーションとなっているのかが問われる。

テレビCMで尖がったコミュニケーションや、特定のターゲットだけが受け入れるものは難しくなった。テレビ番組のコードも厳しいように、CMもそうそうぶっ飛んだことはできない雰囲気だ。
 今、禁煙パイポのCMで、「コレで会社をクビになりました。」が出来るかどうか・・・。

 例のカップヌードルの「バカやろう」のCMも、これをポジティブに受け入れる視聴者・消費者はたくさんいた。ある意味オンライン動画からこのCMを浸透させていたら、まずネット世界でこのCMに対するポジティブな世論を形成してから、テレビオンエアしていたら、まず形成された世論の同調圧力で、特定のタレントの起用に対する批判的な評価はあまり拡散しなかったかもしれない。しかし、テレビではそもそもほとんど高齢層に当たる。

 「CMの認知はある程度獲得できるが、購入意向までには至らない。」これが今のTVCMの課題のひとつであろう。
 ただ、テレビではターゲット以外にも当たってしまう。ターゲットに強く刺さる文脈は、そうでない人には刺さらないか、下手をするとネガティブな評価となる。

 もしシャンプーのCMで、タレントを替えたとする。既存のタレントがCMに出ていたことで好感していた消費者が、「このタレントがCMをするなら私はもう買わない。」と思うかもしれない。CM訴求はある意味「諸刃の剣」になる。
 買っていてくれた人が広告を見たために「買わなくなる。」従来あまり見えていなかった、こうした広告の反作用も織り込む必要がある難しい時代になってしまった。
 許容してくれる範囲はどこまでなんだろう・・・。
 ターゲットが強く反応してくれるであろう文脈やコンセプトが分かっても、はたしてその訴求をだれもが観るテレビCMでしてもいいのだろうか・・・。

 そういう課題が今のテレビCMにある。

 さて、そうなると、デジタル広告にひとつの解決策がある。

 デジタル広告のターゲティング配信は、広告を当てたい人に当てるだけでなく、当てたくない人には当てないターゲティング配信でもある。

 テレビCMとの役割分担、使い分けの考え方に、このターゲットでない人、ないしそのクリエイティブにネガは反応をおこしそうな人には当てないというデジタルの強みを加えることができる。
 だからこそ、デジタルでターゲットに強く刺さるコミュニケーションをして、テレビCMとの相乗効果を生む構造を構築すべきなのである。

さて、先日公開のランドスケープに関して各方面からのご意見もありさっそく改訂させていただきました。引き続きご意見いただければ幸いです。

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テレビのプログラマティックバイイングに関してはDIGIDAYに寄稿しました。

http://digiday.jp/agencies/tv-programatic-buying/

さて、スマホの動画が関しては、PCほどユーザーの受容性に関して、まだ改善の余地がある。そもそも動画広告のインベントリーとなる動画コンテンツ開発が必要だ。またパケット代の課題もまだ日本にはある。フリーWifiの普及ももっと進まないといけない。
そうした課題は解決することにはなると思うが、それまではそうそう一本調子での拡大市場になるとは思わない。いわゆる踊り場がいったん来るだろう。しかし第2弾ロケットが噴射するのは時間の問題で、そこからの加速はすごいことになるだろう。

そこで、テレビのプログラマティックとの時期も問題だ。

ベムは、テレビが、スマホ動画がまだ第2弾ロケットに点火する前に、プログラマティック対応を進めないと、主客は逆転されると思う。

 ベムは以前から終始、「e-メール」という言い方が「メール」になったように、デジタルマーケティングからデジタルという形容詞が取れる前提で取り込まなければならない。」と言っている。また、「デジタルマーケティングとは、マス・リアル・ネットの3領域すべてをデジタルデータで統合し、顧客導線を最適化する試み」と定義している。

 そして、今はもっと踏み込んで、敢えて「デジタルマーケティング」とは、「マーケティングの再定義の機会を与える材料」と考える。

 一見、「デジタルマーケティング」と言われればピンとくるマーケティング施策はある。従来のマスメディアによるコミュニケーション施策やリアルプロモーション施策ではない、ネット環境を舞台にデータとテクノロジーを駆使するマーケティング施策ということだ。そして、テクノロジーとデータ分析という旧来のマーケターの苦手とするスキルの壁に当たって、その専門性をまずは獲得しないといけなくなる。そこまではそのとおりなので仕方ない。

 しかし、本当は、従来のマーケティングとは別にデジタルマーケティングを確立することが求められているのではない。

 「マーケティングがデジタル化」するのである。

 そして、大事なのは、このデジタル化という大きなパラダイムシフトに乗じて、「広告販促」のことをマーケティングと呼んでいた企業が、その企業にとっての「マーケティングの再定義」をし、それを全社員で共有する機会と捉えることなのである。

 さて、ベムはいわゆるマーケティングダッシュボード構築を担うことがあるが、それはやっとPOEのデータをリアルタイムで競合ブランドも含めて同一画面上に表示できるようになったからだ。しかしこれらを提案していくと、事業サイドからは、「実際には売上利益(という目的変数)に貢献するのはこうしたマーケティング施策よりも、価格政策や工場からの出荷タイミングなので、それらも説明変数に加えたいと言われる。これらもデジタルデータとしてダッシュボードに取り込める。営業活動のパフォーマンスも説明変数化できるはずだ。

4Pのプロモーションだけを「マーケティング」と定義する時代ではない。

そして、「マーケティングのデジタル化」がこの「マーケティングの再定義」を促すのである。


 企業の経営企画部門の方々に言いたいのは、「デジタルマーケティング部門」をつくればいいのではないということだ。組織(箱)をつくるのはいいが、肝心なのはそこに入れるスキル(人材)をどう定義し、どう育成するか、そして全社のマーケティング活動の本流にどう統合していくかである。この3つめが重要で、そのためには前述の「デジタル化によるマーケティングの再定義」を経営企画室が主導しないといけない。そして経営トップがそれを十分理解・認識して、全社員に向けてその新しい定義とその意味を共有させないといけないのだ。

 よく行われる「デジタルマーケティング組織化」は、マーケティング活動の「幹」に部分に関われない場合が多い。ブランドマネージャーなどマーケティング施策全体を仕切り、事業責任を負う側からすると、デジタルはよく分からないし、面倒くさい。でも全く取り入れないと経営からも「デジタルはやっているのか?」と言われる。そこで、デジタル専門部門にデジタル施策を企画実施してもらう。しかしそれはマーケティング活動の「幹」ではなく「枝葉」のものに過ぎない場合が多い。デジタルを付け足して化粧する程度だ。

 そもそも、従来のマーケティング活動の本流・本丸のところがデジタル化しなければ意味がない。
 
 ということは、従来のマーケティングの本流・本丸(幹の部分)が、どういうスキルを獲得するかをしっかり定義することだ。

 組織は箱から考えるのではなく、そこに入れるスキルセットから考えて、そのためにはどういう仕事(OJT)でそのスキルが育成されるかで組織の役割とポジションを設定しなければならない。

 ベムはこれを極めて具体的に定義している。具体的に定義できるから、具体的にそうしたスキルセットの育成方法が提案できる

「CMを科学する」 ~その3~ です。

 テレビを観ない若年層が多くなっている。これは家にいてもテレビを観ない、場合によっては「単身世帯にテレビがない」という現象が、そもそも都市部でのテレビ番組のゴールデンタイムの晩の時間帯に帰宅していないということに加わって、さらに若年層の視聴時間低下に拍車をかけている。

 生活時間帯が都市部と地方では、かなり違う。ローカルに行くと帰宅時間も早く、当然テレビ視聴時間も比較的長くなっているはずだ。(遊ぶところも都会に比べて比較的少ないだろうし・・・。)こうしたことは東芝のレグザの視聴ログデータを見れば分かる。全国21万台以上のデータだから、ローカルでは何時にスイッチオフにしているかなど明確だ。

 若年層への到達がテレビだけでは難しくなっていることは、「CMを科学する」でも言及しているとおりだが、それは都市部でより顕著に起きていることだと言っていいだろう。

 
 だとすると、テレビの視聴データ(特に個人視聴データ)が関東・関西・中部など都市部中心でローカルは取りにくい状況であることを考慮にいれないといけない。
 
 従来テレビの視聴データは調査パネルによるものなので、なかなか全国津々浦々まで機械式の測定装置を配置することはコストの問題で難しい。だが、こうしたことがいわゆる全数型データというものの登場で解決されるかもしれない。
 米国では、様々な全数系テレビ視聴データがある。ただし、CATVやディッシュなどの衛生放送などサブスクラーバー型が中心である。
 WPPが買収したレントラックは、こうした全数系データを収集している。今後コムスコアとの連携がどう進むか注目だろう。

 で、本題だが、地方のテレビ視聴データをもっと詳細に出して、アロケーションのためのマーケティングデータとする必要があると思う。そして、実態の価値にあったパーコストを提示することで、テレビのローカルエリアへのアロケーションシフトが考えられる。

 考え方はこうだ。

 エリアごとのターゲット人口と購買力を計算する。
 ターゲット一人あたりの購買期待値に対して、一人あたりいくら広告を投じるかが決まる。
 そして、都市部とローカルのメディア接触率に差があれば、都市部とローカルのアロケーションは変ってくるはずだ。

 商品に対する購買力はカテゴリーやその企業やブランドのエリアごとの販売力で違う。この係数は広告主が用意するとして、ターゲット人口についてはローカルテレビ局側が精査すべきだろう。
 
 それによって、逆算でエリアごとの適正パーコストが弾き出されるはずだ。

 地方局のパーコストは〇〇〇〇円とキリのいい額になっているが、ちゃんと計算すると、そこそこ違ってくるだろう。

こういうマーケティングデータが出揃えば、広告主つまりバイイングサイドから見て、適性な配分を算出すると、もちろん例外もあるだろうが、多くの場合、従来よりローカルへのアロケーションがより多くなるのではないだろうか。(それは今の地方局のパーコストがその広告主にとって適正かどうかに掛かっているが・・・)

また、同じエリアで歴史が長いので、ほかの局よりパーコストが高いって今でもあるようだが、よっぽど番組のクオリティが高くて視聴質に自信があるようなので、ここはちゃんと視聴質を測ってみたらどうだろうか。

 米国では、日本よりはるかに局に個性や特徴がある。だから視聴層も違う。
同じCMが他局よりアテンション値が高いという数値をセールストークに使っている局もあるくらいだ。
 そういうことが実証できれば同一エリアで到達する視聴者数が同じでもパーコストを堂々と上げればいい。

 マーケティングコストのアロケーションは全国一律にすればいいというものではない。デジタルデバイスへのシフトは、テレビが届かない状況が顕著なエリアから始めていくことが適切だろう。

 それにはテレビ視聴データを全国つぶさに見る必要がある。極めて高額な全国ネットを番組を買っている広告主は、30局ネットなら30局すべての視聴データを吟味すべきで、またスポットのエリア配分も地方局のパーコストを精査しつつ適正化すべきだろう。

もうかれこれ3年が経ちますが、2013年にこのブログにデジタルインテリジェンスとして「日本のマーケティングテクノロジーのランドスケープ」を掲載しました。実はこれは今は亡き鈴木望くん(旧レスポンシス)と私の共同作業でした。

http://g-yokai.com/2013/02/post-300.php

今回2016年版としてリバイスすることになりました。
アビームの本間さん、ベストインクラスプロデューサーズ菅さんとの共同作業となりました。

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 「テレビCMを科学する」に関しては、「テレビCMの到達実態がここまで分かるのか」という反応をいただく。と同時に「こんなに解明しちゃって大丈夫ですか?」というご心配もいただく。w
 この本の趣旨は、人口動態や視聴時間の偏差から、世帯視聴率だけでマーケティングすることに無理が出てきていて、また世帯視聴率ベースで番組が評価されてしまうと、ますます若い層のテレビ離れを促してしまうことになるので、視聴質という概念も含めて、「テレビの本当の効果を明らかにすることはテレビのためにほかならない」ということである。

 テレビの持っているアテンションの力は、他のどんなメディアよりも強い。
それを明らかにすれば良いのだ。

 ベムが明らかにしようとしているのは、「不都合な真実」ではない。「本当の効果」であって、テレビを最適化する材料である。もっと効果的に、もっと効率的にするためのデータである。

 従来の評価の仕方を守って、テレビCM市場を守らないのでは意味がない。

マス広告を何も知らないデジタル小僧がテレビをディスってみせるのが、ベムは大嫌いである。テレビもネットも熟知しているからこそ、デジタル時代にどうしたらいいかをテレビ業界に提言するためにこの本を書いている。

 テレビ業界の方たちに言いたいのは、「テレビの本当の味方は私だ」ということである。

『視聴質』とは何か

 『CMを科学する』のなかで最も大きなテーマとしているのが『視聴質』。
従来も旧広告主協会が「テレビの視聴質」を測定してほしいとのメッセージを業界に投げかけたこともある。ただ『視聴質』の定義も、その測定方法も確立しなかった。

 ベムは今回の本で『視聴質』を下記のように定義している。

① ビューアビリティ(テレビが点いていて状態で、テレビの視聴可能範囲に視聴者がいる度合い)
② アテンション(テレビ視聴可能範囲に視聴者がいて、テレビ画面を注視している度合い)
③ コ・ビューイング(誰と誰で観ているか)
④ 表情反応(画面注視時にどんな表情をしているか)

本にも登場するティーヴィジョンインサイツ社の測定技術では、上記の4つをデジタル
データ化してサーバーに送ることができる。(映像ではないのでプライバシーは保護されている。)
 赤外線センサーやデプスセンサーによってこうした視聴者の状態を数値化できている。実際ほとんど真っ暗な部屋でも家族の構成員の誰がテレビの前にいて、画面をどの程度注視しているかしっかり測定できている。

 まずビューアビリティだが、ネット広告のビューアビリティはPCなりスマホの画面をユーザーは注視しているというのが前提で、画面に広告画像が現れているかが、ビューアビリティなわけだ。一方テレビはその逆で、画面には映っているものの、ユーザー(この場合視聴者)が視聴ないし注視しているかを測定しようというものだ。

 当然だが、曜日や時間帯で、テレビが点いていてもじっとテレビの前にいるかどうかが違ってくる。平日の朝は通勤通学のために身支度している時間帯なので、じっくりテレビの前にいる状態にはならない。しかしながら音声は案外しっかり聴いている(聴こえている)というのがテレビである。
 テレビというメディアの特にプッシュ力の源泉は音声(サウンド)がデフォルトであることだ。こういうメディアは他にはなく、テレビ広告の高い訴求力を支えている。

 次にアテンションつまり画面注視度だが、これも音の影響を受けて画面を向くということが大いにある。アテンション値は、サウンド効果の賜物でもある。
 とはいえ、テレビの前にいてもスマホをいじるのに夢中でテレビの音も上の空という状況もある。そうしたこともデータ化されている。
 次にコ・ビューイングという概念がある。これは「誰と誰で観ているか」だ。実は一人世帯を別にして、複数人数世帯だと、一人より二人で観ている方がアテンション度合いが高い、また二人より三人で観ているほうがよりアテンションは高い。
 同じ映像なりコンテンツを共有しているということで、人はより放送を注視する。そして番組によってこのコ・ビューイング率は大きく違うのだ。
 
 テレビマンがよく使ってきた「お茶の間」ということを再定義することになる。

 テレビはその昔、街頭テレビの前に何百人も集まって、力道山とシャープ兄弟の一戦を固唾を飲んで観ていた。それはまさに注視していた。家庭にテレビに入ってきてもテレビは家族全員が正座して観るような時期もあった。そこから世帯あたりの人数はどんどん減っていき、一方、テレビ受像機は一世帯に何台もあるようになった。
 だから世帯視聴という概念は変化してきた。
 世帯視聴率もそうである。
 ビデオリサーチの世帯視聴率のカウントの仕方は、家に3台テレビがあっても、1台で観ていれば、世帯視聴率は100%だ。同じ番組が2台点いていると、母数が1世帯増えるという計算になる。なんか釈然としないが、やはり世帯視聴率という概念が、一世帯に1台のテレビということを前提しているからであろう。

 さて、このコ・ビューイングのデータが面白いのは、このCMは「お母さんと子供が観ていて、子供が笑っている」という状態を測定記録できるということだ。④に画面注視している視聴者の表情も測定していると書いたが、表情分析は

 ・スマイル
 ・サプライズ
 ・ネガティブ
 ・ニュートラル

 の4つの表情を数値化している。
これと、コ・ビューイングを掛け合わせると、ある業種の広告主にとってはCMによって獲得したい目標(ゴール)を測定できるということである。

 さて、こうした視聴質数値と、視聴者の意識や行動にどんな相関があるのかが次のテーマである。すでに実証実験でこれも測定している。

 さらに、CMの効果はクリエイティブのパーフォーマンスだけで左右されるわけではなく、
 ・タイミング(時期・曜日・時間帯)
 ・オーディエンス(誰が観ている)
 ・コンテンツ(どんな番組内、前後にCMが入ると)
 
  とクリエイティブの掛け合わせになるのだ。
  変数は多いが、測定はできている。


 ご興味のある広告主の方は、まずは是非『CMを科学する』を読んでいただいて、デジタルインテリジェンスにお問合せください。

テレビの視聴データに関しては長年ビデオリサーチが独占してきた。20年以上前にはなるが、一時はニールセンが日本でもテレビの視聴率データを販売していたこともあるが、(ベムも代理店時代ニールセンのデータを買っていた。毎月営業さんがCD-ROMを持ってくるというのどかな時代だ。)その後撤退してしまった。
広告収入モデルの民放テレビ局にとって、ビデオリサーチ社の視聴率データは「取引通貨」だ。スポットは基本パーコストで取引されている。視聴率が下がればいわゆる「持ちGRP」が下がって、販売できる在庫が減るということになる。なので、テレビ局にとっては視聴率獲得に躍起になるのは当然のことである。
そこに昨今、ビデオリサーチ以外のテレビ視聴データを扱うサービスが次々と登場している。インテージ、スイッチ・メデイア・ラボ、東芝ライフスタイル、ティービジョンインサイツなどである。
ところが、彼ら新たなデータサプライヤーに対して、「余計なデータを出すんじゃないよ」という声を浴びせられることがあると聞く。
しかし、こうしたテレビの本当の到達実態を詳らかにするデータは全部「不都合な真実」なのだろうか。
ベムはこれらのデータをかなり分析しているが、むしろ「テレビの本当の力を提示できていいのではないか」という部分もたいへん多く、今のトレンド(とにかく若年層に関しては、本当に到達効率は落ちている)のまま本当の到達実態を明らかにせず、そうしたデータによる最適化もせずにいて、完全にデジタルに主導権を奪われてから「データが・・・」と言い出して遅いと思うのだが・・・。くしくも米国では2017年にデジタル広告市場がテレビ広告費を超えるという予測が発表されている。英国では既に広告費全体の過半数がデジタルだ。今はまだ「デジタルで補完しましょう」だが、「テレビで少し補完しようか」になってからでは遅くないかなと僕は思う。


民放の周波数帯域は非常に経済合理性が高く、これを民間放送に割り当てたのは、GHQの方針だ。もちろん「大本営発表」の反省からであるが、(ちなみにテレビ放送業界の市場はNHKの事業規模を加えても3兆円に満たず、雇用している人数も数万人だろう。この周波数をデジタル化してその一部をモバイル通信に振り分けただけでもはるかに大きな市場と雇用が生まれたのは言うまでもない。)基本これらの周波数帯域の電波は国民のものであって、テレビ局のものではない。民放が広告を収益モデルとしていて、そこに広告費を払っているのは広告主だが、その広告主の商品やサービスを買っているのは消費者である。よって消費者が間接的にテレビ広告費を払っている。その効果・効率を上げることは商品やサービスの質が向上してかつ安く消費者の手に届くことに繋がる訳だ。

その意味でも電波は国民であり消費者のものであるので、テレビ広告の効率効果を上げることは良いことであり、決して不都合なことではない。

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